長渕剛、壮絶なる肉体改造の理由とは?【画像あり】
長渕剛、壮絶なる肉体改造の理由とは?
40年近くに渡り、シンガーソングライターとしてカリスマ的な人気を誇り続けている長渕剛。今年の8月22日には富士山の麓にて10万人オールナイトライブを計画するなど、今もってますます精力的な活動を続けている。
そんな長渕剛であるが、しばしばデビュー当時と今とではルックスがまったく異なっていると言われることがある。その理由として挙げられるのが「肉体改造」なのであるが、ではなぜ長渕剛は過酷な肉体改造に及んだのであろうか?
というわけで今回は長渕剛に関して・・・
・これまでの活躍、経歴は?
・過酷な肉体改造の理由って何?
こんな疑問に答えていきたいと思う。
これまでの活躍、経歴は?
長渕剛は1956年9月7日、鹿児島県鹿児島市に生まれた。1973年、大学の文化祭において始めてステージに上る。
1975年、福岡県の九州産業大学へと進学し、福岡のバーでオジリナル曲を歌い続ける。 1976年に財団法人ヤマハ音楽振興会の主催する第12回ポピュラーソング・コンテスト(現在のTEENS' MUSIC FESTIVAL)に出場。「雨の嵐山」で入賞を果たした。
1977年 2月ビクターレコードより「雨の嵐山」でデビューするもヒットすることはなかった。
1978年「巡恋歌」で再デビューを果たし、南こうせつらと活動を共にする。
1979年 3月5日、初のオリジナルアルバム「風は南から」をリリース。
1980年 6月5日、元々アルバム「逆流」の収録曲であった「順子」が、ファンからの熱い要望によりシングルカットされ、オリコン1位を獲得する大ヒットを記録する。
1981年8月石野真子と結婚するも1983年に離婚。同年8月、TBS系連続ドラマ「家族ゲーム」で初の主演を果たす。
1986年のTBS系連続ドラマ「親子ゲーム」映画「男はつらいよ 幸福の青い鳥」で共演した志穂美悦子と1987年9月に再婚する。
1988年 2月5日、8年越しのシングル「乾杯」をリリースしミリオンセラーの大ヒットとなる。同年の10月には主演ドラマ「とんぼ」が放送開始。これ以後の活躍は記憶に新しいところだ。
過酷な肉体改造の理由って何?
さて、そんな長渕剛であるが、非常によく言及されているのがそのルックスの極端な変化だ。デビュー当時は非常にスリムであった体型が、いつの間にか極端なマッチョに変貌している。いったい何が長渕をこの肉体改造に駆り立てたのだろうか?
これには諸説あり、一説には空手経験のある志穂美悦子に逆DVをされたとも言われているが、最も信憑性のある説は1985年の「HUNGRY 全国ツアーで、極度の疲労とうつ状態により50公演中20公演しか開催することが出来なかったというものであるようだ。
そしてその3年後1988年の「乾杯」での復活を経て、同年の「とんぼ」のころにはこのイメチェンは一段落したそうだ。
肉体のマッチョ化とともに音楽性も徐々に変化し、今に至るロックンロール色の強い曲調、外向的でポジティブな歌詞になっていったという。
今年は肉体改造をスタートさせてちょうど30周年ということもあってか、今まで以上に活発な活動が予想される長渕剛。
彼の今後の動向からも目が離せそうにない。
最後まで読んでいただきありがとうございました。