市川海老蔵、その華麗なる家系図にまつわる謎とは? 【画像あり】
市川海老蔵、その華麗なる家系図にまつわる謎とは?
現在大活躍中の歌舞伎役者にして俳優、市川海老蔵。過去にはさまざまなトラブルを起こし、また見舞われてきたが、それでも役者としての実力の高さ故か、さまざまな舞台において引く手あまたであり、唯一無二の存在感を放っている。
そんな市川海老蔵と言えば、江戸時代前期から続く歌舞伎の名門屋号「成田屋」出身のサラブレッドとして知られている。ところがその家系図に関してはある奇妙な「ウワサ」が語られることも多い。その「ウワサ」とは一体何なのであろうか?
そこで今回は市川海老蔵に関して・・・
・これまでの活躍、経歴は?
・「家系図の謎」って一体何のこと?
こんな疑問に答えていきたいと思う。
これまでの活躍、経歴は?
市川海老蔵は1977年12月6日東京都に生まれた。本名を堀越孝俊という。
1983年5月歌舞伎座「源氏物語」の春宮で初お目見得。
2000年に 歌舞伎座「源氏物語」の光君をつとめ、大人気を博す。五代目尾上菊之助、二代目尾上辰之助とともに「平成の三之助」と呼ばれ、新たな歌舞伎ブームを起こす原動力となった。
2003年にはNHK大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」で主演。
2004年5月 歌舞伎座「助六由縁江戸桜」の花川戸助六、「暫」の鎌倉権五郎ほかで十一代目市川海老蔵を襲名する。
2007年3月 、パリ・オペラ座で初の歌舞伎公演を父とともに実現。2009年5月、TBS系の連続テレビドラマ「MR.BRAIN」に出演。これが初の民放連続ドラマへの出演であった。2010年1月にフリーキャスターの小林麻央と婚約。
2010年11月、六本木の飲食店でトラブルになり、暴行を受ける。その後12月に謹慎が発表される。
2011年7月2日、謹慎を解かれて新橋演舞場「七月大歌舞伎」で舞台復帰する。
2013年2月3日、父である12世團十郎が死去し、市川宗家当主の家督を引き継ぐ。
2014年、日テレ系ドラマ「弱くても勝てます 〜青志先生とへっぽこ高校球児の野望〜」に出演した。
「家系図の謎」って一体何のこと?
このように大活躍中の市川海老蔵であるが、その家系図は江戸時代まで遡れる歌舞伎の名門一家「成田屋」であると知られている。ところが、その「成田屋」の家系図に関しては、ある良からぬウワサが飛び交っているのだ。そのウワサとは曰く、「成田屋は呪われた家計ではないのか?」というものだ。
では、その家系図を見てみよう↓
http://www.naritaya.jp/naritaya/tree/
まずはこの家系図の初代市川團十郎。彼は1704年、45歳のときに舞台で演技中に役者である生島半六によって刺殺されている。次に二代目。彼は大奥御年寄の江島のとの交際によって1714年刑罰自体は軽かったものの処分を受ける。4代目は22歳の若さで風邪により死去。六代目は突然の割腹自殺。7代目市川海老蔵は海老蔵襲名から程なくして死去。8代目海老蔵は海老蔵襲名後41歳で死去。そして11代目である市川海老蔵は関東連合とのトラブルに巻き込まれた。というものだ。偶然と言ってしまえばそれまでであり、それなりの歴史ある家系であればこのようなトラブル、スキャンダルも少なくないのではないかとも思うが、たしかに不気味ではある。
さまざまトラブルにも関わらず、歌舞伎役者や俳優として着実にキャリアを積み続ける市川海老蔵。彼の今後の活躍にも大いに注目したい。
最後まで読んでいただきありがとうございます。